私の鬱病 闘病記
それが1時間くらい続いて泣き疲れてわめき疲れてお腹が空いたと言うので直ぐにおやつに買っておいた煎餅とスープを食べさせて一息つかせた。それからはホッとしたのか言うべき事を言ったの� ��少し落ち着いて眠りに入った。妻はお母さんが仕事をやめて家に居たら学校行くの嫌じゃなくなる?と聞いたらそういう問題じゃないそんな問題なら悩んで困って居ないと言い出したらしい。母子分離不安の要因もあるのだろうが今回はそれだけではないようだ。
漸く寝てくれたのであるが私は全く寝られず朝方までうとうとしたが丸で熟睡できず妻が起き出してきた朝に漸く眠りにつけて朝寝過ごしてしあった。食事をしたりTVを見たりしている家族の様子は感じていたが熟睡してしまい丸で起きられず目が覚めると既に家族は登校しているのだった。9時前には起きたのだが何の連絡も無いので無事に息子は登校出来て妻は出社したのかと思ってぼんやりしていた。
しかし10時前にメールが来て「教室の前まで辿り着いたが ダメ。でもよくやりました。これからこのまま掛かり付けの心療内科に連れて行きます。会社は休みました。」との事だった。夕べの「死にたい」と言うのを連呼していた状態の息子を見ていれば出来る事は専門家のアドバイスを得る事である事は二人とも夕べの段階で合意していたので緊急に対処したのであった。その時息子にも行くかどうか聞いたら「この困難などうし様も無い気持ちが何とか早く解決されて学校に行ける様になるなら直ぐに行きたい」と言ったらしい。
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それで二人は学校から直接新宿の病院に向かったのであった。私も追っ付け追いかけて行こうかとも思ったが妻と息子の二人だけの方がいいかなあとも判断していかない事に決めた。それでも自宅で落ち着かない時間を過ごして居た。13時前にメールが来て食事を済ませて息子のアトピーの為の皮膚科に行ってから帰るとの連絡を受けた。その後待つ事2時間したら二人が元気に戻って来た。
妻と少し話したら父親との関係をもっと濃密にしたらいいのではと言う提案をされたらしい。今でも十分日常濃密なのだがこれ以上どうすればいいのだろうか?と思うのだがまあ努めてみるしかない。朝の学校への送り届けも父親がやった方がいいのではないか とも言われたらしいがそれは今まで妻がやって来た事で今回の不登校の件も妻が全面に出ているので私が出て行くのは気が引ける。また怒りの根源が何かは分からないがこれから時間を掛けて解消していくしかないと言う事だった。
夕べ考えたのだがまだまだとても短い人生で人生に悲観している息子を見ていると自分の幼少期にオーバーラップしてしまう。自分も前にも書いたが小学校六年生の時一月ほど登校拒否した事がある。人生に悲観し生きている事に苦しくて自分はとても矮小な存在で何のために生まれて来たのか分からないと悩んでいた頃があったのだ。その頃の自分にとても似ている。
その時は心理カウンセラーも存在せず親もどう対応したら良いのか悩み手を焼いて居ただけで具体的に何かしてくれた訳ではな� �。戻れたきっかけは自分でこの問題は生きて生き続けて行く過程にしか存在しないと思いいたったからである。早熟な少年ではあったがその時は真剣で一人で世界と闘っていて自分は自分に押し潰されそうに成って居た。
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あの頃の自分を見るようで痛々しいのだが成長の過程に避けて通れないものを抱えているのだろうと感じているのだった。むろん私の子供の頃の様に周りの支援はない事は無く親も学校もカウンセラーもバックアップしてくれているので状況は大きく違うと感じているので子供が孤立している事はないと信じている。それでも私の場合は一人で何とか出来たのは奇跡に近いと今でも思っているしその機会が自分を大人にしてくれた一里塚になっていると感じているので息子にとっても今が飛躍の足掛かりとしてまた正念場だと感じている。
帰宅後皆で近所のショッピングモールに行き買い物とゲームをして1時間半ほど過ごした。戻ると直ぐに買い込んだ新しいグラブと� ��ールとバットで野球をしたいと言う息子の為に夕食を作りたい妻の為に私と息子は近所の公園に野球史に出掛けた。二人でキャッチボールを結構真剣に日暮れの薄闇の中で繰り返した。その中で私が登校拒否して居た時は部屋にこもりきりでとても孤独だった事本だけが自分の世界だった事そして抱える問題が解決されるには死と言う選択肢もあるのだと感じていた事などを考えながら息子とはだいぶ違う面もあるなあとも感じている。
私は最近タバコを吸い過ぎているせいかそれとも糖尿のせいか運動を少しするだけで息切れがしてしまう。何とか体を直さなければならないと思いながら息子と遊ぶくらいうの体力が無ければ行けにあと日頃の体力作りをしなければと思うのだった。帰り道で息子がぽつりと「明日学校行けるかな� ��…」と心配そうに言うので「余り気にしないで自然に行ける所まで行ってみようよ、大丈夫だよ」と答えた。
皆で風呂に入り食事して歯磨きをして時間割をしたのであった。今は妻と食後にTVを見て楽しんでいる。私は一人タバコを吸い過ぎながら息子の事を考えている。明日は朝一緒に学校まで行く事になるのだろうか?また学校に行けなかったらまた一日面倒をみなければならないのだなあと漠然と思いながら今はきついなあと少々重荷に感じている。
`痛みの私の家に誰も家をそこじゃないので、
明日は息子の塾の曜日でもある。これは読書をして「作戦」と題する課題を毎週一つづつ解決していく事を行うものでこの体験型読書体験が息子にはお気に入りらしく楽しみにしているのだった。少なくとも喜びを感じてくれるものが現実の今の人生にあるのは救いだと感じている。そういう学校以外の楽し活動もより高めて行ってやらねばと心に期するものがある。
自分の事を振り返ると登校拒否していたころ進学塾に通っていた。一点に泣き一点に笑う毎日だった。それでも学ぶ事が好きだったし得意でもあったから苦しくはなかった。しかし四国のエリート進学校に入ることには疑問を持って居た。親は入れたかったらしいのだがしかし自分 は十分入れるだけの学力も持って居たがそれでもそんな人生のルートをか考えると虚しかった。
同期の子供には社長や外交官などの夢を持っているやつらがトップにいて私hがベストスリーに入って居た。それでも自分は学者に成りたくてその夢を追い続けたが今思えばもっと違う人生もあったのではないかと思ってしまう。でも十分その夢だけを追い駆けて人生を生き切った感じはしている。
まだ人生半ばで子なん事を言うのは可笑しいのだがでももうその夢はかなって儚く終わってしまった気がしている。でも後悔はない、と言えば嘘になるがでもその時その時で精一杯頑張ったのだからそれで良かったので後思う人生である。息子にも早い段階で人生の目標を見つけて貰いたいと願うのだった。その為には基礎教育が重要� �と思うのだ。その為には先ずは学校に行って貰わねばならない。そこから始まる事だと思っている。
父親との関係を考えると私はまだ社会復帰も出来ずに家でごろごろしている姿を晒して居るのはとても教育上よくないと思っている。最近しばしばお父さん仕事してといわれる事が多いのだった。普通のお父さんの様になって欲しいと思っているのだろうと言う事は切々と伝わってくる。見せて居る父親像としては息子が欠ける悩みと同じ面があると思う。人生に悲観して何処か諦めて居て他者・社会との断絶があり人生の目標に欠けていて虚しさを感じている。何処か社会や人生の敗残者を思わせる居どころのない自分を見せているかと思うと良い父のイメージを与えられていないと思うのだった。
しかし今はどうしようも無い。ただただ一日起きられるかどうかさえその日に成らない とわからない状態で精神的にも不安定で体調も良くない。生きる目標を失ってただただ流されるようにい来ている自分に腹立たしさや怒りを感じる。と同時に恐れや不安もこみ上げてくる。それでもその感情と対立せずに受け止めて自分の気持ちに正直に居ようとは思っている。
今一番楽しいのは息子と遊んでその笑顔を見る事である。息子の存在が無かったら子の長い闘病生活も自死で幕を閉じていたかもそれないとつくづく思う。自分を生かしてくれて生に繋ぎ止めてくれた存在としての息子はとても大きい。自死した父を持つ心の傷だけは与えたくない、ぼろぼろで仕方が無いオヤジでも生きて居てあげた方がいいのだと信じて今自分は生存している。
息子も誰かの為に生きている事、誰かのお陰で生きて居られる事を早� �に実感してくれるといいのだがと思っている。それが生きている事であり人生の醍醐味なのだから。明日は学校に行ってくれるか心配に成りながら今日も寝られぬ夜に成りそうだ。色々連想して思い浮かぶ事を書いてみたが自分の事も整理して何とかしなければならない所に来ていると思う。親子ともに成長していかねばならない転換点に立って居ると感じる春の夜であった。
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