※NGO:非政府組織(Non-Governmental Organizations)
第3部 グローバル・エイズ問題 その諸相と最新動向を追う 第2章 南南協力の道を開く:タイ・ブラジルのエイズ政策に学ぶ
第1章では、患者・感染者やヴァルネラブル・コミュニティの当事者の視点から、グローバル・エイズ問題の諸相をみてきた。第2章では、途上国の中でエイズ政策が成功していると言われるタイとブラジルについて、そのエイズ対策の内容と背景、歴史を学ぶことによって、途上国が自らエイズ危機を克服する道と、NGOが果たすべき役割について探る。
1. エイズと向き合うことを学んだ人々:タイのエイズ政策に学ぶ
<はじめに>
シリーズ「南南協力の道を開く」第1回では、「エイズと向き合うことを選んだ人々」と題し、タイのエイズ政策の経緯と現状についてとりあげた。
タイのエイズ対策は「100%コンドーム」に象徴的な予防啓発政策に焦点が当たることが多い。しかし、タイのエイズ政策はそこにとどまるものではない。1991年までの予防啓発一辺倒のエイズ対策の失敗の反省から、患者・感染者へのケアの重視が対策に盛り込まれ、そこにNGO・CSOの参加の糸口が生まれた。また、1996年からは、「Living with AIDS」のポリシーのもとに、PHA(エイズ患者・HIV感染者)とともに生きる地域づくりが、地方政策の大きな柱として取り入れられ、1998年から開始された地方分権化の動きの中でも、このポリシーが生かされている。さらに、最近、発足したばかりの公的保険制度に抗HIV治療が徐々に導入されつつあり、その側面でも国際的な注目を集めている。
こうしたタイのエイズ政策の経緯と現状、直面する問題点などについて、本企画では、「シェア=(元・)国際保健協力市民の会」で長らくタイの保健医療プロジェクトに関わってきた沢田貴志氏、枝木美香氏をリソース・パーソンとしてシンポジウム企画を開催した。
<企画概要>
(テーマ)ワークショップ「エイズと向き合うことを学んだ人々」
(日時)2002年8月31日(土) 午後2時〜5時
(場所)文京シビックセンター5Fシルバーセンター B会議室
(パネリスト)沢田貴志氏((特活)シェア=国際保健協力市民の会)、枝木美香氏((特活)アーユス=仏教国際協力ネットワーク)
(参加人数)49名
(企画構成)
○最初に、参加者を小グループに分け、「(特活)シェア=国際保健協力市民の会」で、タイの農村部におけるエイズ問題の理解のために実施しているワークショップを実施した。このワークショップは、シェアがタイの農村で実施した「PRA」(参加型農村調査法)を、日本人向けにアレンジしたものである。
○ワークショップ終了後、全体会を行い、各グループで話し合われた内容を共有化した。
○次に、タイのエイズ問題および対策について、沢田貴志氏、枝木美香氏の順に報告・講演を行った。
○最後に質疑応答を行った。
「予防啓発」から「ケア」の視点の導入へ
沢田貴志氏
○新規感染者を大幅に減らすことに成功したタイのエイズ政策
まず、タイのHIV/AIDS問題の現状、感染の状況などがどうなっているかについて話したいと思います。タイではこれまでに約23万人がエイズのために命を落としています。現在、HIVに感染して生存している人の数推定67万人とあわせて、これまでにタイ全体で大体90万から100万人くらいが感染をしていると言われています。
1990年頃からタイではセックスワーカーや薬物使用者の間での感染率の上昇が問題になりました。しかしその後すぐに、一般的な人口に流行に移って行きます。バンコクのタイ国軍の新兵の感染率は、1990年頃うなぎのぼりに上がって、最高3%を超えました。コンドームの普及はこの辺からかなりやっていましたが、なかなか下がりませんでした。しかし、91年頃をピークに徐々に下がってきています。それに続いて、妊婦さんの陽性率も2%を超えた。これもなかなか下がらないで、ずっと2%台できていましたが、最近は1.5%ぐらいまで下がってきていいます。献血についても1%近くまでいっていたのが、今下がってきています。
これを見ると、タイは予防という意味でかなり成功してきたと見ることができます。以前は、年間14万人くらいが新しくHIVに感染するのではないかといわれてきました。しかし、現在の推計では年間2万9千人くらい、新しく感染する人を激減させるのに成功しています。ただ、激減するまでの流れには非常に紆余曲折があったわけです。
○エイズにまつわるスティグマが、一般人口への効果的な対策を阻んだ
タイで有名なのは「100%コンドーム政策」です。これは、性産業の現場でコンドームの使用率を限りなく100%に近づけるということです。タイの場合、そうした予防政策のことばかりが強調されています。もちろん、タイでは90年ごろから予防について積極的に政策が展開され、性産業に従事している女性たちの陽性率は91-2年から下がり始めたわけです。しかし、妊婦さんの陽性率はその後も増え続けていたんですね。そこで、タイでは、単に「予防のためにコンドームをつけましょう」「エイズはこんなふうにしてうつる」というキャンペーンだけでは限界があるということが91年からいわれてきました。
当初は、HIVは薬物を注射している人や性産業に従事している人の間で感染するというイメージが非常に強かった。たしかに、それは統計的には事実であり、実際にセックス・ワーカーに対するプログラムとか、薬物使用者に対するプログラムが盛んに行われました。しかし、そうこうしているうちに、あっという間に、一般の人口の中にHIVが入ってくるわけです。どこにでもいる農民や労働者が出稼ぎに行って、感染をして帰ってきて、自分たちのコミュニティの中で妻に感染させる、農村で恋人同士で感染する、という事態が起き始めた。ところが、もともとHIVについてセックスワークや薬物使用というイメージが強く打ち出されてしまっていた。それで、HIVは特別な行動をしたために感染するんだというイメージが強く伝わってしま� ��たんですね。そのため、農村部では、エイズは自分たちの問題ではないというイメージが浸透してしまったんです。
エイズというのは特別悪いことをするとうつるもの、というイメージが先行していたために、都会に出稼ぎに来た人たちが、自分たちがHIVに感染するリスクについてお互いに話し合う状況が作れなかった。また、村に帰って、自分が感染しているかも知れない、ということを相談することもできなかった。タイの場合、村では末端まで保健所があって、ヘルスワーカーがいて、ヘルスボランティアという主婦が、村で健康教育をやっているわけです。しかし、エイズについてあまりにネガティブなイメージが定着しているために、そういうヘルスワーカーやボランティアに、「町に行ってこんなことがあって、自分は感染したかも知れない、どうしよう」なんて言えない。だから、そのイメージを変えていかなければ、タイの国民全体に� ��発のメッセージを届けることはできない、と言われるようになりました。
○トップダウンの保健医療システムがエイズ対策を妨げた
タイの医療制度というのはASEAN諸国の中では最も整っていると言っていいと思います。農村部でもほとんどの地域に保健センターがあり多くの人は病気の時にここに行きます。保健センターで手に負えない病気であれば郡病院、郡病院で難しければ県病院という縦の流れができていて、それは全部公立のサービスです。予算に限りがあるので高い薬は提供できないですが、原則としては、お金がないから医療にかかれないということはないシステムになっています。
地域の保健センターを支えるスタッフは、主に看護婦さんです。しかし看護婦さん一人では数千人の農民をカバーできませんから、村のボランティアが選ばれて、ボランティアたちが自分たちの周囲の住民の健康教育とか、初期手当などに協力しています。私たちは93年、このヘルス・ボランティアたちにインタビューをしました。「村でエイズについて予防活動をした方がいいんじゃないか」と聞いてみると、ボランティアたちは異口同音に「この村では必要ありません。」と言います。その理由は、「この村では売春宿に働きに行ったり、女性を買いに行くような悪い人はいませんし、薬物を使うような人もいません。だから予防など必要ありません」というわけです。「では、どこでやればいいんでしょうか」と聞くと、「隣の村� �はそういう人がいるようです」という。
要するに、このボランティアは、リスクがあることは薄々感じていても、それを言えない状況がある。さっき述べた、トップダウンの保健医療システムの中で、「村はこうあるべきだ」という教育が徹底しています。タバコの喫煙率を何パーセント以下に下げましょうとか、トイレのある家を90%にしましょう、というようなことを、政府が推進して、保健ボランティアの人たちがそれを村の中で一生懸命取り組んでいくわけです。
たしかに、他の感染症については、トップダウンの、建前で進んでいくプログラムが効果を持つこともあると思います。しかし、エイズに関しては、村の中の現実から出発しないと、誰も本当のことが言えない。そうすると、本当に必要な予防の対策ができなくなってしまう。これは、私たちも気がついたことですが、実は、タイ政府の公衆保健省の幹部たちも感じていたんですね。そこで、保健セクターに携わる人々の意識を変えていって、自分たち村人一人ひとりに感染のリスクがあるんだという認識になるようにしたい、考えたわけです。
○「エイズは誰もが感染する身近な病気」という認識を広げる
それでタイ政府は1992年、エイズ対策の見直しをし、5カ年計画をつくりました。その5カ年計画の中に、それまでの予防一辺倒に代えて、二つの柱を入れました。一つは感染者に対するケアを改善しようということ、もう一つは感染者の人権を尊重しようということです。
この二つを入れた理由、それは、これまで、感染経路のことや、エイズがどれだけ怖い病気かということを刷り込んでいく中で、患者・感染者に対する差別が起きてしまった。さらに、エイズについて刷り込まれたネガティブなイメージによって、村人たちはエイズのことを自分たちの問題として考えられないようにさせられている。だから、逆に、感染者と共生をしていく、住民が感染者を受け入れていくように、プログラムを変えていかなければならないということになったわけです。そして、それを末端で担うのは誰かということで、ヘルスボランティアにその役割をやってもらうことになってきました。そこで、私たちは公衆保健省の出先機関から相談を受けて、一緒にヘルスボランティアのためのエイズトレーニングをするこ� ��になったのです。
私たちが最初にやったことは、エイズは「悪いことをした人の病気」、「自分に関係のある病気ではない」と捉えられているので、エイズをもっと身近に引きつけて考えられるようにしていかなければならない、ということでした。いろんなNGOが同じようなことを開始したんですが、私たちは次のような演劇を上演することにしました。主人公は村に住んでいる若者。彼は町に出稼ぎに行くのですが、そこで嫌なことがあって、お酒をたくさん飲んで夜遊びをして、感染してしまう。村に帰ってきて、誰にも相談できず、ついにお母さんに打ち明ける。この若者役には保健所のお役人さん、お母さん役には日本人の看護婦さんがなったんですが、この二人の会話を村人が聞く。こうした演劇によって、村人たちに、「エイズというのは自� ��の隣に住んでいる若者がまた、自分の友達が感染してもおかしくない病気なんだ」ということを感じ取ってもらう。そうするうちに、エイズが特別な人たちの病気だという考えは薄れてきますし、その中で、自分たちが感染してもおかしくないんだな、そういうリスクを負っていることを村の中で話してもかまわないんだな、ということがわかってくるわけです。
他にやったのは、PRA(参加型農村調査法:Participatry Rural Appraisal)というワークショップです。実際の演習を通じて、みんな感染のリスクがあるじゃないか、ということをわかってもらう。こうしたかたちで、ヘルスボランティアの人たちに、エイズが村の中に実際にある問題、身近な問題だということを実感として感じてもらうと、それまで建前しか言わなかったヘルスボランティアたちも、村人たちの実情を聞き、感染のリスクがあっても非難するのでなく受け止めてやっていくという姿勢に変わっていきました。
○感染者を地域が受け入れる
こうして、農村部でも次第に、自分たちが持っているリスクを、当たり前のこととして語ってもいいと考え、行動を実際に変えていこうという動きが出てきました。そして95-6年には妊婦さんの陽性率も下がり始めていきます。しかし、感染の予防に成功したタイでも、実際に発病する人の数というのは、たとえ感染する人の数が減っても、その後5年・10年はまだ伸びてしまうわけです。エイズは発病するまでに5年10年かかりますから、予防に成功した段階においても、発病する人の数は増え続けました。95年以降は2万人以上が発病する状態が続いています。ここ数年、少し下がり始めたようですけれども、報告されない人数も入れると年間2万人からそれほどへってはいないのではないでしょうか。
こうした状況ですから、発病して長期間療養していく人を地域がどう受け止めていくかが重要になってきます。病院の数には限りがありますから、病院に入ってもらえばいいやというわけには行きません。地域社会が受け入れてケアをしていくしかないわけです。そのため、96年ぐらいから、予防だけではなくて、コミュニティ・ケアを推進しようということが盛んに言われるようになりました。
ただ、残念なことですが、初めのうちは、病院の医師たちも、「エイズは治らない病気だから、政府が薬を無料で提供するには優先順位が低いのではないか」という意識が強くありました。医師や病院がそんな態度であれば、感染者に対する差別はとてもなくなりません。そこで、公衆衛生省が、病院のサービスをよくするために強い指導を行うということがありました。それで95年には、すべての公立病院でカウンセラーを育成する研修が始まりましたし、抗レトロウイルス薬のような非常に高い薬を使わなくても、日和見感染の治療はしていけるのではないか、というような試みも行われるようになりました。下痢を止める薬草なども安価な薬剤として利用されました。
限られた予算の中で、どうやって工夫していったらいいかということが話し合われるようになってきました。少なくとも日和見感染をきちんと治療しようという方向性がでてきました。タイの場合、発病するエイズ患者の中でいちばん多い日和見感染は結核ですが、結核の薬については、国が無料で提供するプログラムがあります。また、カリニ肺炎も、薬が安いのでこれも対応できます。下痢についても、長く続くようなら薬草を使ってケアできる。ということで、日和見感染の治療のレベルが少しずつ上がっていきました。しかし、抗レトロウィルス薬に関しては、96年の当時には、高くてもう全然手が出せない。薬が飲めるのは、都市に住んでいるごく一部の裕福な人だけだった、という状況がありました。その中では、AZT(ジド� �ジン:最も早く開発された抗レトロウィルス薬の一つで、核酸系逆転写酵素阻害剤)の価格が低下する目処が出てきましたので、AZTを母子感染予防に無料で使っていきましょうというプログラムが始まりつつありました。また、96年当時には、薬草とか理学療法、マッサージとかを使ってサービスを良くしていくということが病院の中で行われ、地域でも、エイズボランティアが、脳卒中で寝たきりになった人と同じように、エイズの患者さんもケアをしていこうというような動きも少しずつ始まりました。こうして、現場で少しずつケアの改善が進んでいたわけです。
Living with AIDSの地域づくり
枝木美香氏
○「Living with AIDS」のタイに於ける意味